心の旅・遠くへ行きたい 1

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zoom RSS 阪神大震災から14年経ちました

<<   作成日時 : 2009/01/17 22:14   >>

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今年もやってきました。
あの日の記憶が今も蘇ります。

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1995年1月17日1月17日午前5時46分52秒。
かって経験したことがないほどの大きな縦揺れの後、激しい横揺れに阪神一帯は襲われました。

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この大地震が未曾有の災害発生になっているとは、この時点では全然分からなかった。
とにかくまずは家族が無事でいるかを確認するしかない。

この日前日からの風邪気味のため、5時過ぎから起き出していた。
腹も減ったので茶を沸かし、お茶漬けでも食べてやろうかなと思って、ストーブにあたって湯の沸くのを待っていた。
その時大きな地鳴りと共に縦揺れがきた。

幸い家族は全員無事だったが、この時大阪の震度は5だった。
テレビの速報を見ながら、震源地は神戸らしいけど、どんなんやろとボケッと考えていた。

それからのことはみなさんもご承知の通り。
エライことが起きています。

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ワテの職業はこんな時こそ出て行かなアカン
風邪気味であろうが何であろうが、取りあえず人が職場は絶対人がいる職業

その日は夜勤だったが、社までの電車はどうにか動いている。
普段なら夕方から出るのだが、この日だけは昼過ぎに家を出た。

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職場に着くとシッチャカメッチャカの状態。
社の方でも非常事態宣言が出され、社員全員の情報を手分けして集めている。
その日から6ヶ月、とんでも無い事態になるとは、想像もしてなかった。

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多くの義犠牲者が出た阪神大震災。
被災した当日の現場の様子はテレビなどで、みなさん見ておられるのでここでは省きますが、
地獄図だったと聞いています。

この二日前の日曜日、我が娘は成人式に参加しています。
成人式はこれまでの人生の中で、一番華やかだった日。
まさかこの二日後に大地震が起きるなんて、想像もしていません。


同じ日に成人式を済ませた、神戸の娘さんの写真が新聞に載りました。
どんなに悔しかったことか。
人生の一番華やかな瞬間を、震災は奪ってしまったんですから。

戦争だったら怒りも沸きますが、自然災害では怒りの持って行き場がありません。
6437人も犠牲になっていますが、遺族の悲しみは14年経っても決して忘れることはないでしょう。

今日も神戸を中心に、各地で慰霊の模様下のが行われています。


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尊い命を奪った地震災害に、安らかに眠って下さいと祈るしかありません。
                               合掌

写真はお借りしました





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コメント(36件)

内 容 ニックネーム/日時
そうですか…あれから14年経ちましたね…下の息子が四歳の時でした。当時、通っていた保育園の園長が大変な事になりましたと保護者が物資とお金を集めて震災の地に向かいました。栃木にいながらも毎日、心配していた事を思い出します。心からご冥福をお祈りしています。千の風になって…この曲を聞く度に感極まるのは私だけでしょうか…自然災害、私は地震が昔から物凄く怖く今でも恐怖を覚えます。
みや
2009/01/18 00:13
みやさん今晩は
14年も経てば人は大きくなりますね。
息子さんは18の高校生やんか。
まだまだ大変なときですね。

栃木は余り地震が起きていませんね。
お隣の福島とか千葉などはよく起きていますが、栃木は地震が少ないのかな?

あれから14年
全国からの救援物資が届きましたね。
トラックの前に「救援」と書いたゼッケンが貼られていました。
連日見かけましたよ。

この震災からボランティア元年とも言われるようになって、人々の熱い思いが神戸の人々を随分勇気づけました。
風の旅人
2009/01/18 00:36
京都の実家や親戚、神戸の友人達に電話をしてもなかなか繋がらず心配をしながらテレビを見続けていました。名神にバスが引っ掛かってるショッキングな映像は今も目に焼き付いています。
友人の叔母様も亡くなられましたが、何年経っても亡くなられた方々のご家族の哀しみは癒える事はないでしょう。
救援物資や寄付の支援しか出来ませんでしたが、被災地のその後の復興に人々の力強さも感じました。


mugen
2009/01/18 01:21
mugenさんのはようさん
地震後の関西方面への電話は、県外からは全く繋がらなかったようですね。
我が家でも県外に住む親戚から、随分心配させたようでした。

名神高速道路が倒壊した写真は、ワテもショックでした。
地震の恐ろしさを見せつけるには十分な写真でした。

何時起きるか分からない関東地震や中南海地震への備え、心の準備くらいはしておく必要がありますが、なかなかそうはいきませんね。
風の旅人
2009/01/18 10:00
こんにちは風さん

実は、大切な友人が一人震災の犠牲となりました。
あれから14年なのですね。

自然災害の恐ろしさを忘れてはいけませんもの
地震時の対策等、日頃から備えておくようにしたいものですね。
ちなみに、「緊急地震速報」の設定を携帯に登録しています。
ミルキーウェイ
2009/01/18 13:59
ミルキーウェイさんコンチャ
大切な友が震災で犠牲になられたんですね。
家の下敷きになられた人、火災で消費した人など、一瞬にして命を奪ってしまった震災。

何時何処で起きるか知れない中で、携帯にも緊急地震速報が成る仕掛けですか。
そんなん出来るんや。
知らなかったなあ
本当に残念ですね。
風の旅人
2009/01/18 14:53
まだ暗い時分に、経験したことのない余震を感じて
起き出した途端にものすごい揺れでした。
隣の部屋から妹が駆け込んで来ましたけど、なす術も無く
ただじっとしていることしか出来なかった。
本当は、ああいうときには逃げなきゃいけないんでしょうけど
とっさの出来事に硬直してしまったんです。
あの揺れと恐怖、そしてテレビで見た衝撃的な映像は
未だに忘れることが出来ません。
最近新聞で、震災の記事を読むことが多くて。。。
わかってはいても、読むたびに涙がこぼれます。
ようこ
2009/01/18 16:21
風さん♪
早いですね。14年たちましたか?
私も震災でいろいろ経験しています。
友達の子供をあづかっておりました。
今の三宮や元町にいけば嘘のようです。
たくさんの犠牲者のことを思うと胸が苦しくなります。♪
ソナチネ
2009/01/18 20:33
ようこさん今晩は
岡山でもようこさんの家だと、かなり兵庫県に近いだけに、かなり揺れたことでしょう。
この日が来るたびにあの日の恐怖が蘇りますね。

揺れた瞬間に家を飛び出せるのは至難の業ですよ。
真冬だけに部屋着では飛び出せないですね。
ワテもただ修まるのを待つだけでした。

新聞やテレビでは連日地震のニュースで一杯、その中には色々なドラマがありました。今だからこそ言える話も、たくさんあると思いますよ。
風の旅人
2009/01/18 22:22
ソナチネさん今晩は
友人や知人が神戸周辺に住んでいると、身の回りのものが不足し勝ちです。
大人は何とか我慢できても、子ども達の我慢にも限界がありますね。

そんな状況を聞かされると、何か出来ることはないかとをかけましたね。
子供を預かって貰えた友達も、きっと喜んでくれたことでしょう。
こう言うときはお互い様という言葉がありますが、こんな時に助け合える関係って素晴らしいですね。
風の旅人
2009/01/18 22:26
地震怖いです。
風さんは早起きしてはったんですね。
私はお布団の中にいましたが、飛び起きました。
食器の割れる音が効果音となり、すごかったんです。
うちの吹田市は神戸まで近いので、
半壊した住宅もたくさんありました。
主人の実家も半壊しましたわ。
今でも満月の夜になると、地震こないように
お祈りしてるんです。
忘れてはいけない日ですよね。
ぷりん
2009/01/19 09:25
ぷりんさんおはようさん
断層が六甲山から北摂の山を走って京都に抜けましたから、吹田も相当な被害が出ましたね。
神戸や淡路ばかりが話題になっていますが、大阪でもかなりの被害が出ており、その中にはご主人の実家も被害にあったんですね。
当時の事を思い出すと、今なお恐怖感がありますね。

200年に一度と言われていますが、生きている間に又はないと思いますが、こればっかりは保証がないから、起きないことを祈るのみです。
風の旅人
2009/01/19 09:33
もう14年も経ったのですね。
あの日私も風邪で寝てたのですが揺れが収まった後飛び起きました。
あのときの情景は今でも頭に焼きついています。
ほんとにあんな地震は二度と起きてほしくありません。祈るばかりです。
はこふぐ
2009/01/19 10:26
風さん、こんにちは〜。
17日、TV番組で、14年前の映像を見ました、
改めて地震の恐ろしさを再確認いたしました。
被害に遭われた方も、救助に飛び出された消防士の方々も、
想像もつかない目に会っていたのですね。
戦争や天災のこわさを忘れずにいる為にも、
経験者はここにお集まりの方々の様に
語り継いでいって欲しいです。
sayuri
2009/01/19 12:58
こんにちは。
この地震の時 長女を身ごもっていました。
ですから うちの長女は14歳です。
岐阜でも震度3の揺れを感じ、私はすぐにテレビを見ました。
しかし 時間が経つにつれて 被害が大きくなっていき、
本当に日本で起きていることなのか?と思ったくらいです。
2年前に神戸に行きましたが、震災の面影は全然なく
とても綺麗な街になっていました。
でも 忘れてはいけないんです、あの凄まじい地震のことは。
ルミナリエもずっと続けていって欲しいです。
みるきぃ
2009/01/19 13:41
本当に自然の災害では防ぐのも難しいし、
怒りの持って行き場もない!!
こんなとき人間の小ささを思い知らされますね。
でもどんなときも人は団結して、苦難を乗り越える強さも
持っている。
一人じゃないんだから、みんなで力を合わせて!
私も頑張らなくちゃ!!
魔女
2009/01/19 20:58
はこふぐさん今晩は
その日はワテと一緒で風邪を引いていたのですか。
次回同じ様に風邪を引いたときは要注意やなあ(笑)

西宮も大分被害が大きかったけど、はこふぐ邸は大丈夫だったの?
断層が家の真上を走っていたら、最悪だったかも。
こんなんにも運不運があるねんなあ

もう二度と経験したくないね。
風の旅人
2009/01/19 23:26
sayuriさん今晩は
戦争経験と震災経験は語り継ぐべきですね。
どちらも二度と起きて欲しくないけれど、戦争は人間の知恵で避けられるけど、地震はどうしょうもないね。

しかし起きてしまったら、人間は助け合えるんです。
そこが大きな違いですね。
この日の番組は良かったですよ。
風の旅人
2009/01/19 23:28
みるきぃさんコンチャ
この時の赤ちゃんが14才になってるんだ。
このように振り返ってみると、14年の歳月の間には、色々なドラマがあったんだね。

三宮を初め駅周辺は見事な復興をしています。
しかし一歩町の中に入ると、昔の面影がないところもあります。
震災にあっても復興できる力があればいいけれど、そうも行かない人たちも多くいます。
避難場所から復興住宅に入居された方も、すでに年齢は高くなっています。
元々住んでいたところには、もう帰れない人たちです。
一瞬にして家族も財産も失う羽目になってしまった人たち、本当にお気の毒ですよ。
風の旅人
2009/01/19 23:34
魔女さんコンチャ
神戸の町は表面的には蘇りました。
町も年々華やかになっています。
多くの人たちが自主的に参加したボランティア活動。
全国から集まってきた人たちで、神戸の町は元気を貰いました。

こうした一人一人の力を結集すれば、大きな元気が生まれます。
そう言う意味でも日本も捨てたもんじゃないなあ\^o^/
風の旅人
2009/01/19 23:37
あの日のことは私もよく覚えています。
仕事のない日だったので、一日中TVにかじりついていました。
あれからもう14年も経ったのですか。
忘れてはいけませんね。
6437名の亡くなった方々のためにも、あの時のことを語り次いで行かなければなりません。

仕事場で一緒だった主任クラスの男性が、あの地震の半年前に神戸に転勤となり、マンションを買ったと聞きました。
すべてパァ〜・・・
住宅ローンだけが残ったそうです。
彼はどうしているかしら?

横浜も他人事ではないのですよ。
小田原〜松田断層がいつ動いてもおかしくない時期に来ていているそうです。

そうそう、あの震災の後、主人の姉がボランティアに飛んで行きました。
熱血漢の姉・・・
先日会った時は「麻生総理には我慢がならない!国会周辺にデモに行きたい!」と息巻いていました。
naoママ
URL
2009/01/19 23:52
naoママさん今晩は

あの日の映像は誰もが一生忘れないでしょう。
阪神高速道路の倒壊を見て、こんな事が実際に起きるなんて、予想だにしなかったことです。

マンションを買った主任さん
本当にお気の毒ですね。
場合によってはマンションのローンと、借家に入れば家賃の支払いなど二重の債務を抱えて大変な目に合われたことでしょう。

お姉さんがボランティアで神戸に入られたの。
そこでの経験はその後の人生に、大きく役に立っていると思います。

麻生総理のやり方には、もう呆れてものも言えまへんわ
国民が苦しんでいるときに、消費税を上げたいだの、何を考えとるんじゃ。
国会へのデモ、行きたくなるのわかりまっせ。
風の旅人
2009/01/20 00:01
思い出しますね・・・。どんどん増える犠牲者の数に気持ちが落ち込んで行きました。
当時加入していた中小業者の婦人部の人たちと一緒に神戸まで支援に行きました。商店街のお店を励ましの声を掛けながら訪問しました。至る所に「がんばろう神戸」というスローガンのポスターが印象的でした。
まだ電車が動いていなかった場所だったので、自分でも驚くような距離を歩きました。瓦礫の山を思い出されます。
まだまだ、復興は終わっていませんね・・・。
ayaya
2009/01/20 00:05
何度か、ここに来たけど、どうコメントしたらいいか…
中々、コメント出来ませんでした。

あの日の事は、昨日のように覚えています。とてつもない事が起こってしまった…!そう感じました。
その時は、まだ自分も同じ体験をするなんて思ってもみなかった。

人間は、自然の前では、実に小さい存在なのですよね。

あの時の事を忘れてはいけない、と言うけれど、本当に体験した人は、忘れたくても忘れられるもんじゃないですよね。

人間は小さい存在だけれど、強い。
前を向いて歩いて行けますもんね。
私も、月が綺麗な夜は、まだあの日を思い出します。
マミー
2009/01/20 00:06
ayayaさん今晩は

色々な立場の人たちも、この神戸の町を見たら何とかせんといかんと思ってしまう。
こんな時こそ人間は助け合わないとアカンと思うね。

神戸には仕事の休みを利用して、3回救援に入って炊き出しをしましたが、とにかく暖かいものを提供しようと、地域の有志たちが共同して一緒に行きました。

そのうちの一回は病院に入りました。
病院と言っても入院じゃありません
病院の廊下にも通路にも患者が溢れており、ボランティアメンバーは毛布等を干したり、便所掃除をしたりで大変でした。

便所なんて水が出ないので、使っても流せないんですよ。
その為大盛り状態。
それを僅かな水で流さないと、使えなくなってしまう。

学校も病院も人人人で溢れていましたが、ボランティアとして参加して良かったと今でも思いますね。
風の旅人
2009/01/20 00:17
マミーさん今晩は
あの日も満月でした。

満月を見るとあの日を思い出すのは、被災者に多いようです。
ここを覗いてもコメントを書きにくい心境は理解できます。
しかしあの日の出来事は、やっぱり語り継いで行くしかありません。

それぞれの1.17があります。
そこから学ぶべきものは多いはず。
こうしてみんなで考えていけば、新潟地震の時でもそうでした
能登半島沖地震でもボランティアが大勢参加されています。
経験を引き継ぐことは、とっても大事なことですね。
風の旅人
2009/01/20 00:24
こんにちは!
1.17にはやはり皆さんそれぞれの思いがありますね。
私はあの日、喘息の発作が起きていて会社に行けず寝ており、7時頃?前夫が「関西が凄い事になっているよ」と会社に行った後、テレビを点けてビックリでした。あの頃は喘息も酷く、離婚問題抱えていたりと私自身もしんどい時期で、でもあの震災に比べたら・・・比べられませんが、ちっさい事です。
1.17忘れてはいけない日ですね。
花子
2009/01/20 12:49
あの日は、そうですね、満月でした。真っ赤な満月でした。
今でも、月が赤い日には「何も起こりませんように・・・」
と祈ってしまいます。
恐ろしい体験でした。
ボランティアの方々にも感謝、生きていることにも感謝です。
メリッサ
2009/01/20 16:25
花子さん今晩は
この日にみなさん色々な思いがありますね。
この日は喘息の発作で苦しんでいたのですか。
そう言った記憶は忘れられませんね。
しかも離婚の危機だったら、余計に忘れられませんね。

人生何が幸いするか分からないけれど、震災の話題で夫婦が会話するきっかけになったとしたら、それはそれで良かったのかも知れません。
風の旅人
2009/01/20 21:59
メリッサさんコンチャ
あの日の満月を見上げて、目の前の光景に涙された方も多かったと思います。
天と地がひっくり返ったとでも言うのでしょうか、今まで見たこともない光景でした。

あの光景を見たら人は自分に何が出来るのかを考えますよ。
手助けできることを何かしたい、そう思わずにはいられませんでした。
全国からの多くの支援の手が差し伸べられたことに、人は一人じゃないと誰もが支えあっていることに、実感したのではないでしょうか。
風の旅人
2009/01/20 22:05
もう一度・・・
離婚危機ではありません
その年の8月に離婚成立
完璧地割れです!離婚は大変。その時は10kg位痩せました。れも地震よりははるかにマシ。大変だったけどリセットできるんだから・・・。
14年たっても震災の傷はまだまだ残ってますものね
花子
2009/01/21 12:27
花子さんの波瀾万丈の人生、一度ジックリと酒の肴にして聞かせて貰いましょうか(笑)

どんな話が飛び出すか、飲んべえのおばちゃんの心意気、リセットした後の話なんか、聞いてみたいものや。
風の旅人
2009/01/21 14:35
ハハハ いつでもしこたま聞かせますよ。これさへあれば
地震の話からは放れるけど、少ない荷物を出し(本当に鍋と洋服位)、飼い犬太郎を連れとぼとぼ歩き、タクシーに乗る時は何か侘びしかった。今思い出しても涙が出そう
そういえば、オウムの地下鉄事件の時も喘息の発作で、そんなことも知らずに地下鉄に乗って必死に病院へ・・・先生に聞かされビックリ
聞きたくなったらいつでも来てー
花子
2009/01/21 18:02
花子さん今晩

ビールを飲みながら人の不幸話を酒にする
余りいい趣味じゃないけれど、ドラマにあったなあ
「隣の不幸は蜜の味」
これでしこたま飲めるかも

サリン事件の時にも喘息かいな
今でも時折発作が起きるのかなあ
気をつけてや

そのうち東京に行って、いっぱいやりましょうか。
期待しとってや。
風の旅人
2009/01/21 22:58
旦那はん、お久しぶりどす。
そうやね、あれから14年どすね。
今でも忘れる事はできません。
人間がどれだけ無力か、、。
あの時、一番最初に動いたんが
山菱やった、皮肉やね。
ほんで、酒の話はやめておくれやす。
世界では、今も大地震が起きてます。
未だに、劣悪な状況で生活されてます。
定額給付金より、もっと支援金に力を
いれたら、日本は世界に尊敬される国に
なると思うのは、あたいだけやろか?
お邪魔さんどした。
839
2009/02/02 00:27
839はんお久しぶりでおますなあ
元気にしとりやすか。
身体大事にしてや。

あの日のことは強烈やったなあ
神戸の町があんなになってしまって、ホンマビックリしたでぇ。

まあ神戸と言えば◇の本家ですわなあ
代紋の権威で陣頭指揮にたちまっしゃろ。
ワテも何度も入ったが、壊れた家見るのは忍びなかった。

定額給付金2兆円使うくらいだったら、もっとええ事に使って欲しいとワテも思ってます。
生きた金を使うわなアカンでぇ。
風の旅人
2009/02/02 00:44

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