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zoom RSS 沖縄平和ツアー その3 普天間基地・返還すると言うけれど

<<   作成日時 : 2006/11/22 23:30   >>

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沖縄には米軍基地が、日本の70%も集中しているという現実、これを見ずして沖縄を語れない。
以前の旅でも口を酸っぱくして、平和についての意見も書いてきたけど、今回は基地問題を少し掘り下げて考えてみたい。

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今回まず最初に訪れたのは、移転問題の焦点になっている普天間基地です。
普天間基地が見える嘉数高台(かかずたかだい又はかかずこうち)と言う場所があります。
ここから見る風景は左側に目をやると東シナ海があります。
62年前に此処に米艦戦が初めて上陸した土地です。

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沖縄戦は太平洋戦争末期の1945年3月26日から始まり、米軍と日本軍との間で行われた地上戦です。
この戦いには何万という民間人を巻き込んでいます。

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この碑文は当時京都府知事であった蜷川虎三氏の書いたものです。
沖縄戦で亡くなられた同胞に寄せる言葉と、沖縄と京都の友好に寄せる言葉が書かれています。


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それに比べて悪いとは言いませんが、島根の塔には奮戦の文字。
愚かな戦争の反省を刻んで欲しいものである。

米軍の侵攻で北部に逃げ込んだ住民は、2日後には捕虜となって助かっています。
しかし南部に日本兵の敗走とともに逃げた人々は、6月23日まで戦争が終わらなかった。


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神国日本が絶対に勝つと信じていたし、捕まれば酷い目に合うと言われていたので、最後には集団自決をしています。
この件については後でも触れますが、沖縄で何があったのかを考えて欲しいですね。

そして戦後61年目の今年、普天間基地が返還されようとしています。
返還だけなら喜ばしいかも知れませんが、そうな成らないところに、沖縄の現実の難しさがあります。

沖縄に米軍がいる限り、今までにも悲惨な事故や事件が起きています。
強盗傷害、強姦、人家焼き討ち、トラクターの墜落で少女圧死事件、
有りとあらゆる事件が起きても、アメリカの法の下に保護された米兵に、日本の裁判権が及ばなかった。

コザ暴動という有名な事件があります。

コザ暴動とは現在の沖縄市で起きた事件。
1970年12月20日未明にコザ市で交通事故を契機に発生した車両焼き討ち事件である。

当時の沖縄は米国民政府による施政権下にあり、米軍などが琉球人に対して行なった犯罪や事故に対して軽く扱って、場合によっては直ぐに米本土に送られてしまっていた。
その為に沖縄の人々の間では不満が積もっており爆発したのが、コザ騒動とも呼ばれる。

その時の住民の怒りをなだめすかしたのが、日本復帰の道だった。
日本政府は住民の怒りを美味く利用して、餌を撒き始めた。

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2004年8月13日午後2時15分頃、普天間基地所属の大型輸送ヘリコプターCH-53Dが訓練中にコントロールを失い、沖縄国際大学1号館北側に接触、墜落、炎上した。


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基地から国際大学まで、写真で見て貰ったらわかるが、左側中央のオレンジ色の建物です。

基地と隣り合わせの大学ですが、周囲には住宅もビッシリ建っています。
そんなところに訓練機のヘリが墜落してきたのです。

幸いなことに民間人には負傷者は出なかったのは奇跡と言って良いだろう。
事故に対しては宜野湾市をはじめ、沖縄県内の各方面から抗議や非難が相次いだ。

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問題は消火作業が終わった後、アメリカ軍が現場を封鎖してしまい、で日本の警察始め政府関係者、大学の関係者までもが現場に入れず、何が起きたのかも調査させなかったことです。
なぜ日本の関係者には立ち入らせなかったか、事故機に何が積まれていたかによるでしょう。

消火活動に当たった米兵が、数人「熱射病」で搬出されているらしい。
頑強な体力のある米軍兵士がいとも簡単に倒れたことに、何か不自然さを覚える。

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この件に関して次ぎのような記述があるので引用してみよう。

ヘリのローターに氷結による亀裂・劣化の検出に安全装置として、ストロンチウム90という放射性物質が6個のステンレス容器に納められており、今回の事故で一つが機体の燃焼により損壊し、識別不可能になった。米国大使館の報道機関への回答によれば、ストロンチウム90は機体の燃焼、熔解で気化した可能性が高い。ただし、ストロンチウム90の沸点は1655Kである事を考慮するとやや疑念が残る。そして、アメリカ軍によって土壌や機体は回収されてしまったことで詳細を解明することは困難になった。

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米軍の戦闘機や訓練機でさえこのように、危険なものを積載されており、基地の中に何があるのかさえわからない。
核を持ち込まないと言いながら、核の存在すら日本政府は調査もしない。
あるともないとも言わないのが米軍、それをただ信じるだけと言っている日本政府。
これではいつまで経っても日本の施政権が及ばない。

その普天間を返還して、その変わりに辺野古に新たな基地を作ろうとする。
基地が必要か必要でないかを問われた選挙が行われていて、沖縄に着いた日が投票日だった。

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沖縄の選挙は正に無法地帯。
公選法などクソクラエの選挙、何でも有りの選挙戦は見ただけでも違法なものばかり。
本土では到底考えられないものばかり。

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でもこのやり方が自由な選挙かも知れないなあ
今の公選法は、何も出来ないようにがんじがらめ。
立候補者の演説さえ、聞く機会が少ない。
音も聞こえないほど静かな選挙は本土方の選挙だが、沖縄の選挙は音も垂れ幕もポスターも電柱にペタペタ貼っている。

選挙結果は、基地容認派の自民党が押す候補者が僅差で勝ちましたが、基地が必要な人達は、土建屋を主体とした儲けようとする勢力。

基地のない国造りをしようとしても、基地依存型の沖縄の現実が、投票数になっていることも又事実。

基地依存するしか仕事がない、沖縄社会の根本問題を、日本政府は真剣に考えて欲しいものだ。


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ヘリ墜落の写真は全てお借りしたものです。

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驚いた

コメント(9件)

内 容 ニックネーム/日時
そうそう、こんな事故(事件)もありましたね〜

日本の警察が介入できない何らかの事情が
あったことは 自明なことでしょう。
戦後61年経っても 日本は米国にしっぽ振る
忠犬なんでしょうか o(`´#)o

(*^^*) 花々は荒んだ心を癒してくれますね〜
これも"ハイビスカス"の仲間ですか?? (初めて見ました)
シーちゃん♪
2006/11/23 15:06
シーちゃん毎度でっす。

基地と隣り合わせの町ですから、何時何が起きるかわからない恐怖がありますね。
基地周辺で若い女性が一人で歩くと危険ですが、後でも紹介しますが、北部のヤンバルでは米軍が野戦訓練をしています。

そんなところに女性のドライバーが入っていくと、銃を突きつけてあらぬ尋問することもあるようです。
彼らにしたら楽しみだろうが、銃を突きつけられた方にしたら怖いですよ。
風の旅人
2006/11/23 15:28
いよいよ本題に入って来ましたね。
県知事選のさなか、風の旅人さんも生々しい臨場感を
感じられたことでしょう。
沖縄の方々は苦渋の選択をなさったのでしょうか?
終戦後からもずっとずっと続く戦場の日々だと
思われます。基地と隣り合わせに暮らすということが
どんな物事をもたらすのか、
きっと傍からは想像も出来ない苦しさや怒り、
歎きだと思います。
美しい南国の海ややんばるの自然、
心優しく温かい人々、それだけでは語れないものが
ここにありますね。
レイ
2006/11/23 15:58
レイさん いよいよ佳境に入りましたで。
平和を語るとき、基地問題は避けて通れないですからね。

沖縄の人々は何時も踏みにじられてきました。
薩摩世(ユ)からアメリカ世(ユ)、アメリカ世から大和世(ユ)へと移り変わってきた歴史。

薩摩の琉球侵略は人頭税を押しつけて、琉球住民から収奪して行きました。
その薩摩が去ったら、今度はアメリカが入ってきた。

法律で守られなくなってしまった県民は、土地も家も奪い取られました。

そして本土復帰をしたように見えますが、これまた日本政府の騙しで、基地を押しつけたままです。

いくさ世(ユ)の歴史とも言いましょうか、一見平和そうに見えるけれど、今尚沖縄は戦争状態です。
風の旅人
2006/11/23 17:03
娘が昨年高校の修学旅行で沖縄に行ってきました。
平和学習の一環として。帰ってきた時の娘の
口から出た言葉は、「お母さん、沖縄は、まだ戦争が
終わってないんだね。」でした。
そして2人で涙ぐんでしまい、
良い勉強をしてきたなーと思いました。
本や映画等で、沖縄の方々の無念さや
哀しみ怒りはわかっているつもりでしたが
実際その地に立った娘の感情を思うと
さらに現地の方々の傷みが伝わるようでした。

私は政治の事は専門で無いので
良く解かりませんが、高校生でも
感じる事がなぜ、政治家に解からないのでしょうか
体裁だけでなく
心から日本の国を愛し
大切に思う政治家が増え
治外法権撤回を声を大にして叫んで欲しい
と願っています。

私は箏と三弦で“島唄”を演奏しますが
ナレーションでこの話を時折します。

sayuri
2006/11/23 20:37
sayuriさん今晩は

高校生の修学旅行に沖縄を選んでいる学校は、とても多いですよ。
同じホテルに茨城県の鬼怒商業の使徒達も来てました。

高校生達に平和の大切さ、命の大切さを学には、沖縄はとてもわかりやすく、家に帰ってきて親子で話し合われたことは、とても素敵なことですよ。

戦争を知らない世代が、今や三分の二を越えているでしょう。
平和への語り部も減っています。

国を思うことと愛国心を、国は今子どもたちや教師に対しても、強制しようとしています。
何処かはき違えた国の方針は、危険な方向へと進んでいます。

島歌の演奏の前にお話しをされるのですか。
一度聴いてみたいなあ\^o^/
風の旅人
2006/11/23 21:06
シーちゃんの質問にあった、この花の名前がわかりました。
トックリキワタの花です。

http://homepage3.nifty.com/okinawakyoukai/hana.htm

その時は覚えていましたが、帰ってくるとすっかり忘れてしまった。
嫁はんに聞いてもトックリ○○・・・
こんな状態ですわ。
遅くなってスンマヘンなあ
風の旅人
2006/11/23 22:15
お花に詳しいシーちゃんも?だったお花、
トックリキワタって言うのですね。
果たして、この名、いつまで覚えていられるでしょうか?
(わたし自身のことですよ、念の為)
早速、検索したら、沖縄の秋を彩る花だということ、
「徳利木綿」の文字がありました。別名「ヨッパライノキ」
ともあり、これは誰かさんが喜ばれるような名かもしれませんね、
いかがでしょ?
遠目には桜やハナミズキのようにも見えます。
でも、幹に特徴があるようです。
徳利に似ているような気がします。
ここでは本当にいろいろとお勉強が出来ます。
ただし、記憶力減退のわたしには後が不安ですけど。
レイ
2006/11/24 10:20
レイさん今日は

先ほどから新規アップを重ねていました。
何せ今回の沖縄ツアーは内容が濃いので、かなりのスペースが必要です。
全部で幾つになるのか、今のところ不明です\^o^/

確かに実が出来ると、綿が出ると書いてありますね。
漢字に直すとこの字でしょう。

シーちゃんも南国の花には普段見慣れていないから、仕方がないでしょう。
ワテもこの時期の沖縄は初めてですし、見たことがない花が、幾つもありました。
風の旅人
2006/11/24 12:07

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