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zoom RSS 佐賀・古代のロマン・吉野ヶ里は卑弥呼の里か

<<   作成日時 : 2006/06/08 22:55   >>

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九州道は福岡を過ぎる鳥栖JCで長崎道と、大分道、九州道に別れる。
長崎道に入って最初の東背振インターで降りると、すぐに吉野ヶ里遺跡に到着します。

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1986年からの発掘調査によって発見され、弥生時代の600年間の歴史が、此処では色々と見られる。

弥生時代は日本では稲作文化の始まりであり、家を中心として一定の地域内に定住することになった。

この吉野ヶ里遺跡からは、日本の原点が見つかるのではとの期待も大きく、今までにも色々なものが発見されている。

復活した集落を見ると、ここに古代の国があったのではと彷彿させます。

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当時は魏志倭人伝によると、この辺りは倭国と呼ばれおり、卑弥呼の時代であったのかも知れません。
まあこれは推測の域を出ませんが、この吉野ヶ里の北九州説と畿内説があります。

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各地に出土している銅鐸や銅鏡などは、両方にまたがっております関係上、正式に此処が卑弥呼がいた邪馬台国であるとは宣言できない。

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此処に大物が住んでいたのではと思わせる墳墓があります。
この墳墓からは大きな瓶が埋まっており、その数14個というかなり大がかりなものです。


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この写真はお借りしました。

資料によると次の通り。
その「かめ棺」の中には日本でも二例しかない「把頭飾つきの有柄細形の銅剣」など8本の銅剣、日本でも珍しい「明るいブルーの管玉」約80個などの豪華な品が副葬され、その底には秦の始皇帝が好んだ真紅の「水銀朱」が敷きつめられていた。このことは王族とでも呼べる「階層社会」が既にあったことを示しているような厚葬ぶりです。

これだけのものが納められているのだから、この人物は誰なのか、
謎解きはまだまだこれからでしょう。

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コメント(10件)

内 容 ニックネーム/日時
風旅さんおはよう!
佐賀県吉野ヶ里遺跡ですね各地を旅され幸せな人生ですね
羨ましい限りです
tomo
URL
2006/06/09 01:22
 お早うございます。
 卑弥呼の里?ですか…私達の40−50代ぐらいに耶馬台国ブームでしたね。全国あらゆるところに存在したようですが、本命は九州か、大和かあたりで依然として謎のようですね。
私は昔は古田武彦氏の唐津周辺説でしたが今は「自己都合」で近くの大和説の方がいいな…と思うようになりました。身勝手なもんですわ(笑)
 まぁ民族永遠の謎でもええんやないか…と思います。
 ツアーはもう2−3日、甲州盆地を彷徨してから、信州へ入ります。
 しかし梅雨ですなぁ これから傘がいりますなぁー 困ったデス。 
たそがれ
URL
2006/06/09 07:16
おぉ〜
一瞬青森の三内丸山遺跡を思い出しちゃった
http://sannaimaruyama.pref.aomori.jp/
って言ったけど、今三内丸山遺跡のHP見たら似てない(笑)

遺跡は実家の三内しか行った事なかったけど
何故か凄く興奮したの( ̄ー ̄;


PAN
2006/06/09 14:52
一枚目のは 今で言う展望台なんていう洒落たものなんでしょうか??
それとも見張り台??.....に、しては 広すぎるわね〜^^
邪馬台国も諸説ありますが 浪漫がありますねっ!!
佐賀は福岡に降りた時に少し...時間がなかったので焼き物だけ見て
帰りましたっけ・・ざんねーーーん!! ^^ 
シデンカ♪
2006/06/09 18:52
tomoさんまいど

今日は朝から出かけとりまして、ヤットコサのご帰還ですわ。

吉野ヶ里遺跡は広い場所だけに、見て回るだけでも大変。
邪馬台国が北九州かどうかは定かじゃないが、出土品などを見ていると、大王がいたのは確かやなあ
風の旅人
2006/06/09 21:30
たそがれさんコンチャ

唐津周辺説というのが吉野ヶ里のことでは?
自己都合でも筋立てを考えるだけでも楽しいでっせ。

邪馬台国については、両派それぞれの言い分があります。
どっちに傾くのか、贔屓になると片方を応援したくなりまっしゃろ。\^o^/
風の旅人
2006/06/09 21:34
PANさん今晩は
青森市内を走っていると、三内丸山遺跡の近くまで行ったのに、ツアーだったために見ていません。

もう一度行ったときも、コースから若干ずれていたので見ていない。
今考えると残念です。

あの近くが実家だったのか。
それやったら余計残念やなあ
風の旅人
2006/06/09 21:40
シデンカさん今晩は

1枚目の写真は物見櫓(ものみやぐら)と思います。
2枚目にある大きな建物は、ワテが行ったときにはなかったのでは。
この建物は資料によると、主祭殿と呼ばれ、吉野ヶ里のクニ全体の重要な事柄を決める会議を行ったり、祖先の霊への祈りや祀りを行ったりした、中心的な建物と考えられています。
小さい建物は住居などと思います。

焼き物と言えばこの辺りは、唐津に有田や伊万里
記念に一つ買ったのでしょうか。
風の旅人
2006/06/09 21:51
そうやね、邪馬台国の論争のところやから。
そやけど、古墳の一番古いのは、香川県から播磨、京都の北部
常陸、上房と受継がれ、縄文時代繁栄したんどすな。
弥生と縄文が今では、重なる時があることが分かりましたな。
外津軽三郡誌、富士宮文書、古事記より古い歴史があり。
稗田阿礼が、口伝をその時の権力者が都合の良いように
作り変えた、日本書記や続日本書記なんか典型的どすな?
まあ〜太古の日本は、考えるだけでロマンどすな。
可笑しなコメントですんまへん。
有田、唐津、伊万里、綺麗な上薬で文様も綺麗やけど。
あたいは、備前焼、特に古備前がええな。
萩焼きの白磁もええし、使えば味のある焼き物がええな。
お邪魔さんどした。
839
2006/06/09 23:57
839はん毎度でおます。

>稗田阿礼が、口伝をその時の権力者が都合の良いように
作り変えた、日本書記や続日本書記なんか典型的どすな?

確かに時の権力者は都合のいいように書いたでしょう。
それと歴史は先に書いたもの勝ち。
後世のものは言い伝えとか、古い記述を研究して判断しますなあ

何処までが真実かは、今後の研究に頼るしかないけれど、古代この地で何があったのか、自分なりに推理するだけでも楽しいですよ。

ワテも備前焼は好きですわ。
派手な彩色を施している陶磁器は余り好きじゃないけど、備前や信楽などは好きやなあ

風の旅人
2006/06/10 01:24

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