心の旅・遠くへ行きたい 1

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zoom RSS メモリアル1.17阪神大震災

<<   作成日時 : 2006/01/17 23:28   >>

驚いた ブログ気持玉 2 / トラックバック 0 / コメント 9

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1月17日午前5時46分、震度7の大地震が大阪、神戸、淡路島を襲った。
一瞬にして5000人強の人達の命を奪った。
家を押しつぶされ、ビルが倒壊し炎が上がった。



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阪神淡路大震災

その後6433人の死者、行方不明4万人という大惨事になった。
日々入ってくるニュースは悲惨な状況を目にすると、いても立ってもいられない。

知人が神戸に入りたいがルートが分からない。
電車もバスもストップしている。
どうにかして神戸に入りたいというので、息子を誘ってご一緒した。

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リュックにはライフラインが寸断されているために、飲料水や卓上コンロ用のボンベ、カップラーメン、その他日用品などを詰め込んで大阪港に向かった。
大阪港から神戸までの海上を船で行くのが唯一のルート。

船の中には多くの方が同じようにリュックを背負って乗られている。
みんな終戦後の買い出しスタイルでした。
そんな恰好で神戸港に降り立ったら、目の前は瓦礫の山。

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三宮の駅前も惨たる有様。
道路はズタズタで電柱も倒れたままだし、家もひっくり返っている。


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これでは知人の家まで歩くしかない。
道路沿いの家が目に入る。

○○は家族全員無事でした。
こんな貼り紙がしてある。
この家は押しつぶされた中から、全員這い出してきたんやなあ
良かったなあ〜
地獄絵とはこんな感じじゃないかなと思うほど、それは酷いものでした。


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知人の家に到着して無事を確認したらホッとしました。
やっぱり欲しいものは水でした。
水道栓をヒネったらいつでも出てくる水が、出て来ないなんて想像できますか?

トイレの大便は水がないと流れない。
山積みになったウンコを見たら、もう便も引っ込んでしまうで。
18リッターのタンクに水を入れて運んだらわかります。
どれほど重いか。
命の水、重いなんて言っていたら生活できません。
ペットボトルが重いなあと言いながら背負っていったが、それが命を支える水だったことが、被災地を見て分かりました。

神戸はまだまだ復興はしていません。
街並みが整ったのは中心部の商店街だけ。
奥に入ればまだまだ空き地が目立ちます。
心のケアもまだまだ必要です。
ガンバレ神戸 
この合い言葉で多くの勇気を貰った神戸。

今年で11年目
何時までも語り継いでいきたいと思っています。

写真はメディアからお借りしました。

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コメント(9件)

内 容 ニックネーム/日時
私の所でも水には随分不自由しました。
電気、ガスは直ぐに復旧しましたが
水道の方が半月ほど後でした。だけど避難生活を
されていた方たちよりず〜とましな環境だったので
被害も少なく済みましたし・・。
写真で又、あの時が蘇ってきます。
花咲か爺
2006/01/18 00:07
今朝から各地でイベントが行われていましたが、亡くなった6433人の尊い命
参加された一人一人の脳裏を横切るものは悲しい別れ。

辛く悲しい一日が終わりました。

花咲爺さんも当時は神戸にお住まいでしたか?
水道だけはホンマに困りましたなあ

当日の夜に神戸に入った同僚の話では、道路に人が置いてあったと言っていました。
現場近くで生活されていたなら、悲惨な状況は目の当たりにしていますね。

今回の写真も掲載することが躊躇しました。
ノーモア地震

二度とこのような事がないように、知って貰いたくて載せました。
風の旅人
2006/01/18 00:19
当時阪急神戸線の園田に住んでいました。
直ぐ近くの豊中など、又園田でも簡易住宅が
公園に立ち並び家の前の道路は迂回してくる車の渋滞が
1日中で、窓を開けられないほどの、排ガスに頭痛が続き
それでも、自分たちは幸運だったと、少々の事は何でも
我慢、辛抱の毎日でした。被災された方達の心労は
私などとは比べ物に成らない程のご苦労だった事でしょう。
花咲か爺
2006/01/18 12:25
ブログで知り合った人の中に、この震災に遭われた方が、
何人もいました。
この写真を見ると、11年も経ったことが、嘘のように
あの時のニュース映像が、目に浮かんできます。
風さんの身近にも、被災された方が、大勢いたのでしょうね。
最近は、天才人災と、多発しますが、災害のない年を願うばかりです。
めざまし時計
2006/01/18 15:02
阪急伊丹駅は完全に破壊されていましたから、園田駅なら近所だけに相当な被害が出たのでは。

道路を挟んで向かいの家は押しつぶされているけど、こちら側の家は大丈夫だった等、近所同士でも全然違っていました。

地震は一瞬にして何もかも奪ってしまった。
本当に怖いですよ。
当時のご苦労は大変だったでしょう。
風の旅人
2006/01/18 19:47
この地震で会社の関係者が、4人亡くなっています。
被災した住居はかなりおりました。
通勤に2時間以上かかるものがいたり、通勤が困難なものは寮に借り住まいしたりしてしのぎました。

会社も大事件が起きると忙しい会社でしたから、もう大変な状態。
休みわけにもいかず、被災された方は大変でした。
風の旅人
2006/01/18 19:52
地震のニュースを聞いた時「京都で震度4の地震があったようです」だったのをよく覚えてます。
そのうち、段々と入ってくるニュースに仕事も手につかず、
「これは今の神戸なんだ」と自分に言い聞かせなが、
テレビを見てました。
これは映画??と思うような錯覚になりそうな光景でした。
地震にあわれた方々はいろいろな面で
本当に大変だったと思います。
心のケアは簡単にはいかないでしょうが
一日も早く、平穏な日が訪れる事を願ってます。


朝起きて、水やガスが出て、電気が点く当たり前の生活が
すごく贅沢な事なんですよね。
そんな普通の生活が一番幸せな事だと、
今頃気が付きました。


がんも
2006/01/19 07:42
朝起きて一日が始まり、いつものようにスタートする。
電気を灯し水道栓をひねり、ガスに火をつけ朝の食卓の準備をする。
毎日同じ繰り返しだったのに、電気ガス水道が止まったらどうなるか。

恐らくこれまで考えたこともなかった。
当たり前のことが当たり前に行われていた生活。

真っ暗な中で唯一の灯りはろうそくの灯。

栓をひねれば出て来た水が出ない。

カチットを回せば火がついたのに、幾らひねっても点かないガス。

トイレから大声が聞こえる。
ウンコが流れない。

そんな生活が始まったのが1.17

その後大きな地震では中越地震。
同じような被害が起きた。

神戸の経験が少しは生かされたが、やっぱり行政の動きは遅い。
遅ければ遅いだけ被害者は苦しみます。

自然災害だから何時起きるか分からないけれど、起きたときの対応だけでも、考えておく必要があるなあ
風の旅人
2006/01/19 10:41
人間って可笑しなもので・・・・

最低限の品物をと取りに行った時、電話が微かになったんですよ。
家が外が余震でグラグラ揺れてるのに、出たんです私。
「がんも家です」と。
電話に出てる場合じゃなく早く避難しなきゃならないのに。
人間の習性とは、愉快な物です。

がんも
2006/01/19 17:37

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