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zoom RSS 福島・会津若松城

<<   作成日時 : 2005/10/14 13:04   >>

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幕末の動乱期の会津城は、薩長連合+官軍に組みする地方諸藩の侍が一気に攻めをした。
4000人で籠城して戦うも多勢に無勢。
多くの死者を出して戦は終わり、舞台は函館へと移って行きます。

この会津攻めに我が故郷の彦根藩も会津攻めに参加しています。
彦根藩と言えば徳川の譜代の親藩だった。
それが何故?官軍に寝返って徳川家に弓を引くのか?

そのわけは桜田門事件の処理にあった。
井伊直弼が殺された桜田門事件は、御三家の水戸藩の侍に襲われた。
老中井上河内の守の処理に対して、井伊家では真っ向から対立した。
急進派と穏健派の二つに分かれた。そして間もなく薩長連合が出来て、江戸に向かい始めた。
井伊家の取る道は一つ。

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コメント(5件)

内 容 ニックネーム/日時
風さん こんちは
幕末から、維新にかけて会津藩はホントに悲しい役目を一手に引き受けたと言うのが率直な感想!

会津出身の早乙女貢などの書を読めば、
歴史認識において変わることもあります
勝てば官軍の論理がまかり通るはこの戦争が最初になったように思います

父の戦友会では 会津の人と九州の人は言葉を交わすことなく
楽しんでたようです 
それほどまだ、許しがたい感情があるのにやはり驚きました

会津に行くとその気持ちがよくわかりますね
テス(nosaman)
2005/10/14 15:28
今回のワテの旅は江戸、東照宮、会津でした。
我が家のルールを調べている中で、幕末の井伊家の文献を読む機会がありました。
読むって言っても膨大な資料の中の1ページです。

その中で気になったのが井伊家の動向でした。
世間では余り知られていないのが、官軍に参加したことでした。
地元に住んでいる人間が井伊家がどうなったのか、語られていません。
最後に裏切ったのが恥だったんでしょうかねえ。

会津に行って戦った数、負傷者の数も文献に出ております。
そのなかの一人にチョッと興味があって、その後どうなったのか痕跡を訪ねています。
その一環で会津に行ったわけです。
ホンの数時間の滞在で何も出来ません。
会津の香りでも嗅ぐのが関の山。

お父上の戦友会の話、今尚しがらみがありますね。
やっぱり何処か許せないものが今尚、会津の血を引く人間にはあるのでしょう。

同じ事は遠州の吉良の地元でもありますよ。
吉良は今でも地元の英雄です。

立場立場で応援したくなりますね。
風の旅人
2005/10/14 16:17
高校生の時アルバイトしてた酒屋のバス旅行で
会津若松城につれてってもらったことあります
たしか今頃の季節だったような気がします、お土産に
なめこたけを買ってきたことだけ覚えてます、雨も降ってました。
ふ〜ちゃん
2005/10/14 21:06
東北のこの時期って雨が多いのかなあ
この所ズッと降っていますね。

秋の長雨と言うけれど、旅先で雨はかないません。
なめたけのお土産かいな、高校生だから酒のアテはまだ早いわなあ
風の旅人
2005/10/14 22:46
風さん、おはようございます。
会津から帰って来ました。
風さんには申し訳ないくらいの秋晴れでした。
お城の画像をぶっちゃけのほうに置いておきましたので…

久しぶりの会津若松城は、お城の出口が嫌でもお土産屋に入る仕組みにされていたり、城内の展示も随分変わっていてビックリしました。
飯盛山は昔とあまり変わっていませんでしたけどね。

また、のんびり旅行記をUPしていきますので、
ご笑覧ください…。

では、また。
THELO
2005/10/15 07:15

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